点灯
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無事に東京の我が家に帰宅しました。
私の師匠の植草先生の工房は、ガスも水道もない山奥の電波の届かないところにあります。
聞こえる音は風の音と鳥の声、そしてアブや蜂の羽音。(汗)
自然がいっぱいで本来あるべき姿なのに、情けないかなその環境に最初は面くらい本当にどうしようと思いました。
でも、私が来た日を境に虫の数が減ったそうで(お盆くらいから減るそうです)、水は沢があるし、ガスは使わないしで少しずつその環境にも慣れていきました。
(ただトイレに入ったとき、便器の中からたくさんの虫が自分に向かって飛んできたときはさすがに泣けましたが・・・)
セミナーハウスでの共同生活は、窯元で一緒のお弟子さんもいないし、同室の人もいなかったしで最初は心細かったのですが、水津先生のお弟子さんと仲良くなって夜遅くまで語らう事もできました。
毎日スーパーでお弁当を買い、先生の軽トラックでお山に行き陶芸を学ぶ日々。
のんびりと静かに時間が流れて、心が豊かになるような日々でした。
子供の時からガスも水道も電気もある生活で、欲しいものはすぐそばにお店があってお金を出せば手に入る。
陶芸も道具も薬も買えば簡単に手に入る生活で、それが当たり前になっていたけど、先生のお山にいるとその生活が偽物で、この山で暮らす生活が本来ある生活ではないかと思えるようになってきました。
早起きして観にいった萩のほんの一部の観光地です。
幕末の獅子たちを排出した萩。
陶器でもすばらしい人材を多く輩出した萩。
その一部分に触れ、感じてこられたことは幸せでした。
木戸孝允生誕の地
円政寺内金比羅社社殿
高杉晋作像
夏みかん
他にも史跡がいっぱいあって、もっともっと観ておけば良かった。
それと萩の言葉はとっても優しい。
ほんわかした語り口がとても心地よかったです。
先生からの課題、「萩で何か感じ取っていってください」は言葉にうまく表せないけれど、そこに住む人たちの萩焼への思いと、その伝統との戦いを感じました。
大事にしたい伝統と、新しく築きたい世界観。
終わりなき戦いなのかもしれません。
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今日は最終日。
朝から野焼きの点火です。
昨日用意してある土まんじゅうのような野焼きに、一人一人バーナーで火をつけていきます。
「野焼きは自分の思い通りにならない。
火が通るところは読めないし、その先も全く計算できない。
だからおもしろい景色がでる。
窯が一方通行に対し、野焼きはどこへ行くかわからないおもしろさがある。
炭化が切れるとそこに炎があたり奥行きがでる。
それが景色になる。」
「城山窯」の金子先生のお話を聞きながら野焼きはどんどんいぶされていきます。
炭化する沸点はおおむね300~400度。
白くなる沸点はおおむね1000度。
自分のふくろうがどんな色になるか、期待と不安でいっぱいです。
野焼きの隣で「藁灰作り」も実践しました。
内村先生の指導の元、藁をトタンの上に中央を真にして丸く円を描くように置き、その中央に点火します。
点火したら藁に空気を入れるようにどんどん追加していきます。
野焼きと藁灰作りの炎と煙とお日様の日差しで本当に暑い!
藁は完全に白くなるほど焼いてはダメで、黒いときに水をかけ消火します。
完全に沈火したところで土嚢袋にスコップで詰めて終わり。
このたくさんの藁灰でも、たった30L程度しか作れないとお聞きしていただいて帰るのをやめました。
野焼きを点火してから3時間ほどたった頃、ふくろうの目だけが燃える炎の間から顔を出しました。
そして出てきた子は真っ黒黒すけになっていました。
野焼きも一段落し、藁灰制作も終わったので近所の温泉に自転車で行ってきました。
景観がよくのんびりしたかったのですが、夕方からのイベントに2時間も間がなかったのであわてて出てきてしまいました。
会場に戻ると金子先生から作品に対しての講評がありました。
作品を作ったその人自身もですが、一緒に聞く私たちも勉強になるお話でした。
野焼きで焼いたものには水墨画のような柔らかい景色がでます。
茶碗や花器ををキャンパスに描かれる絵は、自分の力ではどうにもできない自然の美しさを感じました。
その後はバーベキューパーティ。
先生とも、弟子の皆さんとも今夜が最後。
陶芸のお話から、お仕事のお話まで熱く語り合えて楽しかったです。
その後は宿泊施設のセミナーハウスで、二次会を開催。
最後までたっぷりと話ができて良い時間を過ごすことができました。
こんなチャンスを与えてくださった萩市に感謝。
こんな私を我慢して最後まで見捨てずに面倒を見てくださった先生に感謝。
一緒に支えてくれた陶芸仲間にも感謝です。
次回はまた数年後になるかもしれない萩、陶芸大リーグ。
また参加できることがあればうれしいです。
ご一緒した皆さん。本当に本当にありがとうございました。\(^o^)/
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今日は半日修行、午後からは野焼き準備です。
昨日の続きの道具作り、今日はカンナ作りをしました。
とはいえ、ほとんど先生が手伝ってくださいました。
竹を切り、ささくれをカッターで落とし持ちやすいように成形し、カンナになる歯を取り付ける。
文章にすると簡単だけど、やってみると難しい。
「道具は自分で作った方がええよ。その方が使いやすい。買った道具はきれいだけど道具に使われる感じがする」
確かにそうだ!
買っててもなかなか道具を使いこなせなくて、四苦八苦することが本当に多い。
お弁当を食べ午後からは野焼き準備。
薪、藁、松の葉、もみがら、素焼きした陶器とミルフィーユのように重ねていきます。
四段ほど重ねたらすべての作品が籾の下に入りました。
思いの外早く終了したので、先生にお願いしてもう一回工房に連れて行っていただき、おととい腰痛で挫折した茶碗をひかせていただきました。
6㎏ほどの粘土をひいたのですが、まともにできたのはたった三個。(v_v)
萩の土は水を使うとすぐにだめになってしまい、いかに自分が水をたくさん使ってひくか反省しました。
これでお山の工房へ来るのも最後です。
「今は便利なものがいっぱいあって、簡単にきれいなものができてしまう。
便利がいけない訳じゃない。
昔の人は便利にしようとしても、どうしても不便さは残る。
その不便さがスパイスになっていい味わいを出していると思う。
だから道具も薬もできるだけ手作りにこだわり、いいものを作りたいと思っている。
でも、これが正しいってことではないんよ。」
先生の作品からにじみ出てくる味わいって、そのこだわりなのかもしれないです。
藍場川の鯉
菊ヶ浜 かすんで写真だと見えませんが三島土のとれる島が左の島の先に見えました。
明日で陶芸大リーグも終了です。
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残り日数も少なくなってきて、今日は先日作陶した湯飲みの仕上げです。
腰痛は昨日一日何もしなかったせいかなんとか1時間半の高台削りに耐えてくれました。
陶板は白化粧土を入れて景色を変えてみました。
どちらも写真の撮り忘れです。
その後、昨夜ukkyさんとバスの中で話をしたときに、「萩は作品を粘土から切り離すときに前から切る」とお聞きして、先生にどのようにして切るか見せていただきました。
「前からの方が便利だよ。なんならこの土全部切って練習したら?」と言われて練習しました。
最初は違和感があったけど、確かに大きいものを作るときはこっちの方が便利かもしれません。
お弁当を食べて午後からは水簸(すいひ)です。
庭にある大きなバケツには灰が浸してあって、それに手を入れてみるとぬるぬるのものと、ざらざらのものがあります。
ざらざらの方はこれから水簸するもので、ぬるぬるの方はすでに終わっているものだそうです。
水簸の方法は目の細かいざるで、その灰の水をこしていくことです。
今日は100目のざるでこしました。
この目を次は120と細かくしていって、きれいな部分だけを採取していくのです。
次は道具作り。
作るのは木ごてとカンナです。
今日は木ごてを三つ作りました。
桜の木をのこぎりで先生が切ってくださり、それをカッターで丸く落とし、最後はペーパーでなめらかにしていく。
作業をしながら「へたくそなろくろで、なかなかうまくならない」とぼやいたら、「作陶の段階で完璧でもダメなんよ。焼成し終わってどうか?ってことなんだから作陶の段階で下手とかうまいとかないんよ。」
車の中、作陶しながら、削りながら、お茶を飲みながらこの一週間先生といっぱい会話をしてきました。
陶芸を語る先生はパワフルではつらつとしています。
インフラ設備のほとんどない自然の中で作陶する先生は、自然と共存する人です。
自然の中にいるからこそ見えるものでしっかり大地に足を踏みしめて作陶する。
便利に甘えて、それが当たり前のように生きている自分が恥ずかしくなってきました。
あと二日。
自分もしっかり大地に足を踏みしめ、残る萩を満喫しようと思います。
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五日目は県内の窯元見学と萩市美術館見学と勉強会です。
まずは講堂で
・萩焼の歴史
・萩焼らしさとは
・伝統について
・陶芸とは芸術なのか
についてのお話がありました。
印象に残ったのは
「もし陶芸が芸術なら、使う側にこびるほどみっともないことはない」
という言葉でした。
いまある芸術性が10%なら、1%でも増やせばよい。
それがいつかは50%、100%と増えていく。
陶芸は趣味として学ぶ人が多い。
趣味は好みで決める情緒的な考えを持つが芸術はそれではダメなのだ。
作るものの論理を大事にしろ。
自分の茶碗が大きいとか、扱いにくいとか言われても好きなものを作る。
contemporary(現代性)creature(創造性)sensitivity(感性)philosophy(哲学)
この4つを兼ね備えたものが芸術ではないか。
斉藤先生のお話は理論だっていて説得力がありました。
この価値観が、食器としての陶芸と、アートとしての陶芸の違いなのでしょうね。
続いて窯元見学です。
まずは13代目、坂高麗左衛門先生の窯元へ。
すべて藩の支配した窯で、毛利家から陶工を任ぜられた書が残っています。
(これはレプリカです。スマホで撮ったし、薄暗い床の間の上の方にかけられてボケボケでごめんなさい)
窯やギャラリーを見せていただき続いて大和保男先生の窯とギャラリーへ。
作品の前で、「器の中に芸術がある。」と熱く語り、模倣ではなく常に新しいものへの探求心と創作意欲に圧倒されました。
次は長門にある深川窯へ。
窯の前で田原陶兵衛先生のお話をお聞きしました。
「朝鮮を模倣して、わざわざ白い粘土に鉄分の多い粘土を混ぜ、それに化粧土をして景色を楽しむ。朝鮮の高台を見て、『唯一無二』とありがたがる。」
殿様の興味を面々と受け継ぎ、手間暇をかけて作るのが萩の器で今の姿だそうです。
また「おもしろいもの」の定義として「失敗の一歩手前にあるものにある」という登り窯の美学をお聞きして、陶芸への飽くなき追求を感じました。
田原陶兵衛先生の茶碗です。
その景色はすばらしかったです。
その後、江戸時代の窯を見に行きました。
昔は12軒の陶工たちが一つの窯で共同で焼いていたそうです。
今は朽ちてしまった窯ですが、当時の棚板の天秤が残っていました。
この棚板の中に皿は目を置き重ねて焼き、手前の方にはさやにいれ重ねて焼成したそうです。
天秤の支柱は太く、あまりたくさんのものを置けないから「目」ができ、それが景色になったと、あとから植草先生からお聞きして納得でした。
途中、食事や醤油ソフトクリームなど食し、最後は「萩陶芸美術館」での美術鑑賞と対談のお話をお聞きします。
美術館は三輪休雪先生のオブジェを前に、先生ご自身からの説明を受けました。
その足で特設展の「龍泉窯青磁展」も鑑賞。
そして今日のメインイベント三輪休雪先生と、柳原睦夫先生の対談による「陶芸の浪漫」です。
印象に残ったお話は休雪先生の
陶芸で「作陶」だけを切り取ってもうまくならない。
人間性が豊かでないと良い作品にはならない。
芸術作品はそのひとが生み出すものである。
一人の人間のあり方が、根底で支配している。
お聞きしていてそれは漫画家手塚治虫氏が語っていた、
「良い漫画が描きたければ、良い映画を観なさい。良い絵を観なさい。良い本を読みなさい」に通じるものがあると思いました。
柳原睦夫先生は陶芸を教える時に「花を観ろ」ということをお話しされているそうです。
器はチューリップにたとえると、ツボミはろくろをひくイメージ。
それを開くと鉢になる。
開花し落下する寸前は皿になる。
花が開こうとする力はろくろの開く力である。
このメソットは立体的に頭の中にイメージできました。
対談後の質問では「下手なもの、初めてのものの美しさ」についてや、休雪先生の「なぜ陶芸が自己表現のツールになったか」などのお話をお聞きして、先生方の熱い想いを感じ取りました。
メモした文章が走り書きで悪筆で、読めなかったところを記憶で埋めようとしても思い出せず四苦八苦でしたが、植草先生から毎日お聞きしているお話も、五日目にたくさんの先生方からお聞きしたお話も、萩焼に対する思いと、伝統に縛られず新しい芸術を求めて陶芸と向き合う姿をがひしひしと伝わってきて感動的でした。
残る日数、丁寧に陶芸に取り組もうと思います。
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大リーグ四日目。
今日一日は作陶デーです。
せっかく萩にきたし、登り窯で炊いてもらうし、蹴ろくろもあるならば「蹴ろくろ」の作品と、「鬼はぎ」の作品を作りたいと先生にお話をしました。
それならと鬼萩用に土作りから始めました。
入れる砂は「珪砂や長石」のつぶつぶの石です。
計測はしていませんが、先生の目分量で投入し水を入れた後、荒練り→菊練りです。
ざらざら感が手に刺さりますが、いつもと違う粘土の感触は新鮮です。
たたら皿のたたき方を改めて習い、寸法を測り乾かしてたたらの陶板を作りました。
次は初めての蹴ろくろ。
蹴ればまわる。
回っている間に作陶。
わかりますよね?と先生の奥様から教えていただき作陶。
しかし口で言うようにうまくいかない。
蹴っては立ち上げ止まるの繰り返し。
小さいものをやっとこ作ったものの楕円だし。
でも「蹴ろくろはなかなかシンメトリーのとれた円にはならないよ」と先生から慰めていただき午後からは電動ろくろへ。
しかし蹴ろくろで蹴りすぎたのか股関節が痛くなり、次に先生のろくろは大きすぎて足を開きすぎたせいなのか、椅子が低くすぎて前屈みになりすぎたからか腰痛勃発。・゚゚・(×_×)・゚゚・。
作りたい!痛い!作りたい!痛い!いったりきたりで本日は終了!
どれもカップが「痛い!」って泣いているみたいです。
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こちらは参加者の野焼き作品。
野焼きの日までに乾燥させるべく、扇風機の前でおとなしく乾かされています。
私はふくろうのバリ取りもほぼ終え、ビニールでふくろうを磨いた後素焼きを始めている先生の待つお山に行きました。
いままでスプーンで磨いたことはありますが、ビニールは初体験でした。
お山に着くと先生は素焼きを開始して、温度はすでに120度くらいになっていました。
素焼きから登り窯を利用する方は少ないそうですが、先生はすべて登り窯で焼成するそうです。
登り窯の構造、火の動き方、暖まり方、穴窯との違いなど教えていただきました。
窯の詰め方や火のくべ方には陶芸家それぞれ皆やり方やこだわりがあるそうで、粘土、釉薬、焼成方法さらにこだわりのスパイスがブレンドされて、オリジナリティ豊かな作品が産まれてくるのでしょうね。
窯の前はスタートした時は暑さなど感じなかったのですが、だんだんと火の勢いも強くなり、薪をくべようと顔を近づけると顔がちりちり痛みます。
薪をくべながら先生といろいろなお話をさせていただきました。
今回の大リーグで、来る人に登り窯の火入れを体験させてあげたい。
窯詰めも体験させてあげたい。
そんな意気込みを持ってくださったのだけど、情けない弟子の私は腰痛と、激しく多い虫攻撃に気持ちが萎え気持ちが下降線でした。
でも激しく多い虫たちは、みな「飛んで火にいる夏の虫」のごとく窯炊きをする私の前をすり抜け火に向かって昇天していき、腰痛もとりあえずおとなしくしていてくれました。
明日は初めて先生のろくろで作品を作る予定です。
このまま腰痛も、虫もおとなしく私から離れてくれて無事に作陶を終えたいです。
この二つは先生の作品です。
上は一個一個煉瓦のように積み重ねてあり、その一個一個に陶印を押してあります。
その箱の中から怪獣が顔をのぞかしている作品です。
シリーズで、チョットしか見えない子から始まり、全身出てきている子まであるそうです。
下は夏みかんの釉薬で作ったお茶碗です。
暖かみのある柔らかい色です。
どちらも先生らしい、ユーモラスで暖かみのある作品だと思いました。
大リーグも明日で4日目。
「何でもいいから感じていってください」と先生の言葉がプレッシャーに感じます。
残る日数、自分なりに萩をたくさん感じ取っていこう。
焦らず急がず、土と会話し、作品とも会話し、人とも会話していけば何かきっと見えてきそうな気がしてきました。
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二日目の今日は野焼きの作陶です。
以前の野焼きのとき、焼成時に壊れてしまったので今回はリベンジと再度フクロウを作陶しました。
でも、立ち上げて頭のところまできたら亀裂が入ってしまいあえなく挫折。
「ちょっと手を休めなさい」と先生に言われて久々に猫を作ってみました。
気を取り直し再度ふくろう作りです。(笑)
今度は水津先生から「こういうものをつくるときはこうせんと」とご指導をいただき、頭を絞るようにして作りました。
そしたらへこまず、亀裂も入らず成功!
最初の失敗作は頭の作り方と、、バンバンとボディをたたいていたのが良くないと教えていただきました。
そこへ担当の植草先生も戻っていらっしゃって、「ふくろうのくちばしはこんなんじゃないよ」と絵を描いて説明していただきました。
観察もせず、妄想の中だけでデフォルメしてきた私のふくろうから、少しずつ本物に近いふくろうを作陶できました。
まだまだ未完成ですがこの子です。(^^;
明日はこれのお掃除が終わり次第、植草先生の登り窯の素焼きのお手伝いです。
果たしてできるのか?自分!とはてなマークがいっぱいですが頑張って薪をくべてこようと思います。
ふくろうを作りながら先生方と、陶芸の技法から一般まで、幅広く雑談的にお話をお聞きすることができました。
半分くらいは忘れる情けない脳みそですが、それでもプロの作家さんとお話ができることに感謝です。
「今日はしっかり休んで、明日は窯炊きを頼みますよ」と。
さて、炎と腰は私に味方してくれるでしょうか?(^^;
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新幹線で厚狭まで。
その後美祢線と山陰本線を乗り継ぎついに玉江駅に到着!
でも・・・・(ーー;
すべてにおいてどんぶり勘定で甘い自分を再認識!
美祢線と山陰本線が一車両のワンマン電車で、改札で精算ではなくその場で支払うシステムとは知らず、万札しか持っていなくて運転手さんを走らせて両替してもらってしまった。(v_v)
それだけでなく、駅前にはきっとタクシーがいて自分を連れて行ってくれると思いこんでいったら人もタクシーも皆無!Σ(|||▽||| )
ホントに自分って世間知らずのおばちゃんなんだなぁ・・・(v_v)
とぼとぼ、ガラガラ、荷物を引っ張りつつやっとセミナーハウスにたどりつき、いよいよ開会式。
私の師匠は植草先生です。
でもいきなり、「明日は野焼きの作品を早めに終えて、素焼きを手伝ってほしい。」と
先生の作品の素焼きの窯入れなんて怖い!
おまけに火の番もなんて・・・
緊張感でいっぱいで引きつっていたら、城山窯の金子先生が「焼き物はその窯の中にいるものと会話すればいいんですよ。子供だと思って熱いとか感じ取ってあげればいいのです。」と
植草先生も「陶芸は作陶だけじゃない。作陶はほんのプロセスの一部なんだよ。
萩は山と海と空がある。こんなに美しいことところはない。
その中で萩でしか学べないことを学んでいってほしいんだ。」と。
そうだ、萩でしか学べないこと。
窯元でしか体験できないこと。
それがきっとあるはずだ。
教室で学んだこととは全く違うことで、言葉では言い表せないことかもしれないけど、そのほんの一部でも学んでこられたら、それはきっと自分の宝ものになっていくと思う。
先月痛めた腰痛も心配だけどなんとかなるさ!
野焼きの作品もできるかどうか心配だけどとにかく作ってみよう!
やってみなきゃ進まないんだ。
歓迎会のバーベキューの最中、沈みゆく夕日。
満天の星も見られたし、明日からの7日間、がんばります!
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